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?と思うこと

最近、眠りにつく前などにお祈りやお願いをする。

自分のお願いごとは朝のグランディングやレイキしてる時や
新月のアファーメーションやハイヤーセルフとつながっている時にするんだけれども
(おいおい、いっぱいあるなー)
夜は大体他者のことで
「あの人の願いが叶いますように」
「あの人が元気になれることが起きますように」
…などと思い浮かべているうちに、、、眠ってしまう。
だからわりとお願い不完全な状態ではある。
でも、「願い続けていれば必ず叶う」そうですから、願い続けるのみですよ。
どうにもなりそうもないことほど、ね。

これは、私がいい人だからやっているのではなく、本当に人が困ったり苦しんでいるのに自分は何もしてないからです。
願い続ければ叶う、祈れば届く、と知っているのならやらないとずるいじゃないですか。(昔は「祈るだけなんて、偽善だわ」とか思ってましたけど)

で、その時なぜかサイババ氏の顔が浮かぶことが多くなってきた。
なぜだ?!

サイババ氏とは“物質化現象”、“ビブーティ”で一世を風靡した(?)インドの聖者と言われている方であるが、
私のアニマルコミュニケーションの師匠は氏とつながりがあり、話を耳にすることが増えたっちゃあ増えた。私は今のところそれらの話の中で「ほほぅ」と、納得することがあれば取り入れているくらいである。

マァ、特にメッセージを受ける体制もとらず
「いったい、なんなんだい」
と、思いながら寝てしまうが。


ところで、サイババ様、とかイエズス様、とか自分にはちょっと言いづらい。
どうして“様”をつけるんだろう?どうして口にしようとすると、こっぱずかしく感じるのだろう?
英語だったらJesusでいいのにナァ…なんて。

日本語の敬語とそれにまつわる思考は素晴らしいものだと思う。敬語はきちんと使いたいと思う。敬語をも含んだものが日本語だ。
一方、「敬語を使わないと敬う気持ちがないということになるのか、外国人はどうなんだ、そんなことないじゃないか」と思ってしまう。
それから、敬語によって相手との距離感を生じる気がして不要に思う時もある。
ほんと、言語の織りなす感覚って不思議だなぁ。。。

私は基本的に「イエスが〜」と言ってます(^^;)
よくて「イエスさんが〜」です。

“神父様”も言いづらいのぅ。(目の前にいらしたら言うけど)
これも英語ならただFatherだもんねぇ。


ところで今年は聖書完全読破することに決めています。
やっぱり聖書は面白いわ〜〜
by francesca-ds | 2008-02-08 13:17 | スピリチュアル
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